2021年
6月1日(火)
「入賞はしたけれど〜2020秋」
毎年恒例の、と言うか惰性で出し続けている展覧会への出品。
いわゆる‘賞レース’である。
2020年はコロナの影響が濃く、M書道展は中止、K書道展は会期が一ヶ月遅れで開催となった。
提出締め切りも一ヶ月遅れなので、タイミング悪く仕事が立て込み、結局、20数枚書いただけで出品するはめに。
今年のテーマは父の米寿を祝って「身寧神怡」とした。
体が安寧であることで精神も快活となる。
高齢となって体だけではなく心も健康であって欲しいと願ってこの言葉を選んだのです。
出品するとなれば、百数十枚書くのが当たり前の世界。
実際、私以外は講習会で選んでもらう時には大量の枚数の中から選ばれし一枚が出品されていく。
なのに、私ったら、成功枚数たったの8枚。
落選だけは免れたい一心だったにもかかわらず、なんとまさかの準特選。
ただの入選じゃなかった、っていうだけでも驚き。効率良すぎでしょ。
その数ヶ月後。
M書道展が中止になったので、浮いた出品料でこれまで出品していなかった「書道G院展」に出展してみることにした。
初めてなので気楽に即席で書いて、出品したら「褒状」をいただいた。
準特選といい、褒状といい、そこそこの成績だけど書いた枚数を思えば上々の出来だと思う。
だけど、イマイチ突き抜けてない感が否めない。欲ばりすぎなのは分かってるんです。
ただの入選じゃないだけでも喜ぶべきところなのだけれど、なんだかぼちぼちの成績に喜べなかったりする。
私の強欲っぷりは底なし沼だ。
6月3日(木)
「雪だるまと煙突〜2020冬」
2020年冬はとにかく雪がドカッと降って、寒さの厳しい冬だった。
というか、昨年が暖冬過ぎたのだ。
昨年の冬はノーマルタイヤでも過ごせただろうというほど雪がなく、昨年こそが異常な冬だったのだ。
今年は昨年の「倍返しだ!」くらいの厳冬だった。
幸い、私は通勤がないので、雪道を走ったり、地吹雪の堤防を走ることもなかったのだが、
毎日時間まで通勤している人は朝のテカテカのアイスバーンを大変だったろう思う。
雪だるまをつくってみました
ところで、
我が家の風呂は薪で沸かしている。
なので、今では見られない煙突が屋根からニョキッと突き出ている。
3点で屋根に支えて、倒れないようになっているのだが、屋根に積もった雪の重みで2点が外れ、煙突が倒れた。
・・・らしい。
お隣さんが、落下した煙突の頭を持って来てくれて初めて煙突が無いことを知ったのだ。
私はよもや煙突がないとは知らず、数日間風呂を沸かしていたということになる。
慌てて屋根を見ると、煙突が無い状態でも、防火材が突き出ているので、火事の心配はなさそうだったが。
・・・それにしても、あっぶねー(焦)
雪が一段落した時に、お隣さんが応急処置で煙突を立ててくれた。
ありがたいねー。
雪で煙突が倒れたなんて初めてのこと。
けど、春先の強風で再度吹っ飛び、今度は私が2階の窓から屋根に降りて、しっかり直しました。
雪の被害はまだありまして、別棟に渡っている電気の配線が、屋根の雪の重みで切れてしまったり、
雪を乗せて運ぶカートが欲しかったのですが、どこに行ってもみんな売り切れ。
カートだけじゃなく、とにかく小さい用具にいたるまで全製品が品切れ状態。
来年こそは雪運びカートを買わねば。
・・・とまあ、これは雪の被害でしたが、冬の恐ろしさは雪の量もさることながら気温なのだ。
6月4日(金)
「氷点下13℃の朝〜2020冬」
年が明けて1月。
1月2月は雪も多ければ、一年で寒さがもっとも厳しくなる月である。
天気予報で気温チェックは欠かせない。
特に朝の気温が氷点下4℃以下を目安に水道の水抜きは必至だ。
1月のある日、前日の天気予報では氷点下6℃。
前日の夜に外の水抜き栓を閉め、さらに台所の水道の水抜きを済ませた。
「これで安心」
すやすやと眠ってのんびり8時過ぎに起きた朝。
長靴はいて雪中行軍で外の水抜き栓を開けにいく。
「んんっ?!」
開かないじゃないか!・・・カチンコチンに凍っている。
ふんっ!
ギギギ・・・
やっとのことで回った。
回ったけど、カチンコチンで果たして水道が出るだろうか?
水抜きしても安心とは限らないのだ。
この日の朝、実際は氷点下13℃だったらしい。
なにもかもがカチンコチンに凍っている。
チッチの飲み水もカチンコチン
マリモの水槽もカチンコチン
お仏壇の花の花瓶もカチンコチン
みんな氷になっている。
氷のカトレアが咲いた
雪の結晶しだれ桜
台所の水道もカチンコチンで、水抜きしたはずが凍りついてる。
かろうじて水は出たものの、瞬間湯沸かし器に向かう切り替えのところで栓が閉まらず水がダダ漏れする。
気温が上がれば止まるだろう、と思ったものお、この日は終日氷点下の真冬日。
結局ダダ漏れはなおらず、接続の栓を取り替えることに。
水抜きしても凍るんです。
自然には成す統べもないのだ。
水道管が破裂しなかっただけでも良しとしよう。
もうちょっとで地面にとどく氷柱
8月14日(土)
「キジ男君〜2021春」
我が家の敷地の周りはブロック塀になっている。
西隣りは、煙突を直してくれたお宅。
東隣りは、隙間無くすれすれに壁になっている。
いつぞやの突風では、2階の雨戸が飛んできて我が家の玄関を直撃したこともあるほどの近距離である。
北側は公道で、南側は長らく空き地でした。
空き地といっても、数十年前に建てた温室ハウスが3棟ほど建ち並んで、ボイラー室から温水を送った巨大ハウスである。
使わなくなって30年以上だろうか。
ハウスの中はすでにジャングルと化しており、そこに、キジが住み着いており、時折キーッ、キーッと鳴くので見に行くと
バタバタッとハウスの屋根から不器用に飛ぶのでした。
時には草っ原をメスと並んで仲睦まじくトコトコ歩く姿も目撃したものです。
昨年の春などは、メスを3羽くらい引き連れてハーレム状態でハウスの中から悠々と出てきたものでした。
ところが、昨年の秋。
「負の遺産を残すことはできない」とのことで、長く使わないで放置していたハウス全棟取り壊すことになったのです。
ガラスのハウスの解体には重機が何台もやってきて、3週間ほどかかって更地に。
キジの夫婦はどこに行っただろう・・・
見渡す限りの広大な更地になって隠れる場所も無くなったキジの夫婦は立ち退きを余儀なくされたのではないか・・・
もう姿を見ることも叶わないのだろうか・・・
そんなことを私はぼんやり考えていた。
そして春。
キーッ、キーッ
キジは更地で身を隠す場所も無いのに、いつもの近さで鳴いていた。
健在だったことにまずは安堵したが、姿が見えない。いったいどこで鳴いているのだろう。
キーッ、キーッ
鳴くたびに、窓から姿を探していたが、とうとう見つけた!
更地にした際、土を寄せた場所にキジの姿が。
身を隠すには頼りない高さだし、住み着くには厳しい場所のように思える。
が、後ろが堤防下になっているので風くらいはしのげるだろう。
オスの姿は見つけたが、メスの姿は見えないので一緒ではないのだろう。
キーッ、キーッ
ただ今婚活中のキジ男君なのでした。
10月1日(金)
「振り出しに戻る会議〜2021年5月」
2021年集落の生涯学習委員に任命された。
というのも、誰も引き受けてがいなくて困っていた区長が我が家にやってきたのだった。
ほかに、地区のコミュニティ委員を引き受けていたのだが、コロナ禍で行事がことごとく中止になっており、
実質これといって委員としての集まりもなく、もともとボランティアだし、これ幸いと思っていたところだった。
まあ、区長も困っていることで、私でよければと思い生涯学習委員も引き受けた次第。
生涯学習委員とは、地区で文化的な催しを主催するとか、講演会を開いたり、そういったことかと思いきや、
区長が言うには、地区のお手伝いで十分だというではないか。
「(へー、そうなの?)」
ま、余計なことを考えずに、初年度なのだから様子を見るとしよう。
そんな矢先、地区の高齢者の会での催しを手伝って欲しい要請があった。
その打合せを兼ねた会議に参加して欲しいとの連絡が入ったのだ。
参加者は「いきいき会」という高齢者の会の会長、副会長、会計。
地区の区長、副区長、会計。
それと、地区の民生委員、保健推進委員、生涯学習委員の私。
本来であれば、「いきいき会」の会長、副会長、会計で準備したりすることではあるのだが、この3者も高齢なため、
地区の民生委員、保健推進委員、生涯学習委員の私たちに手伝って欲しいとの要請なのだ。
なにも難しいことではない。
買い物とか、椅子とか、机を用意するとか、そんな程度。
私は父が「いきいき会」に入会しているので内情も自然理解していたが、民生委員、保健推進委員の両名が、
「どんな会なんだ?」から初まり、話しがくどくて、いつまで経っても終わらない。
堂々巡りでイライラしてきた。
1時間も経過した頃、いい加減業を煮やした私が「なんでもお手伝いしますから言いつけてください」と
年間行事3回の割り振りも決めてしまった。
なんで回りくどく面倒に考えるんだろ?
こんな会議30分もあれば終わりだろ?
割り振られた1回分は、買い物に行って、各家庭に配布しておしまい。
仕分けしたついでに私の父の班は5名こは私が家庭訪問することにした。
お隣では猫の話しで盛り上がり、前の家には初めて伺ったが、野菜やら野菜の種やら頂いて、
班長さんのお宅では初めて噂のお嫁さんを拝見した。
長年顔を見てなかった2軒お隣の独り暮らしのおばちゃんも久々に顔見たが、あまり変わってなくて驚いたり。
ほんとに近所なのに、家に行くことがないから、なんだかいろんな意味で新鮮だった。
次回のお手伝いは「ミニ敬老会」だ。
お弁当を予約して、果物とか和菓子とか予約しちゃえばお終いじゃん、て私なりに考えてる。
民生委員、保健推進委員の両名に告ぐ。
案ずるより産むが易し。
10月5日(火)
「病の父〜2021年8月」
8月下旬、いつものように晩酌をした父が、風呂にも入らずく早々にベッドで眠っていた。
どうしたのだろうかと、見に行って触ってみたら熱い。
熱があるのではと体温計ではかってみたらなんと38度超えの高熱。
これはいかん、と座薬を使い、頭を冷やした。
翌日、37度台まで下がったものの、かかりつけ医に行った。
熱かあるので、車で待機させられる。
完全防備の宇宙服姿の医者が簡易的なコロナの検査をしにやってくる。結果は陰性。
点滴を受ける。
3日目。
熱は下がったが、かなりの頻尿。しかもほんの数滴しか出ない。
茶の間に戻って座る間もなくすぐまたトイレに向かう。
これが24時間。2階で寝ていた私も心配で1階に下りて父のそばで寝るようにした私も眠れない。
寝室にポータブルトイレを置いたが、やはり眠るどころでない。
ほとんど5分おきに起きる。これではふたりとも体力が持たない。
そのうち尿意はあっても出ないというではないか。
もう3日もこんな調子だ。
かかりつけ医からの薬も効かず、漢方も効かない。
明日こそは泌尿器科にいこうと考えていたが、もう待てない。
早朝6時に緊急で近くの総合病院に駆け込んだ。
応急処置ということで管を入れられ、袋を提げることになった。
挿入してすぐに尿が排出された。
その状態でかかりつけ医に向かう。すぐさま泌尿器科に紹介状を書いてもらい、その日の午後に受診した。
そもそもあの高熱はなんだったんだ?
原因は?
私の頭に浮かんだのは、高熱を出す2日前のことだった。
あの猛暑の中、満足に水分も取らず一心不乱に草むしり。
そして鉄のホイルがついたトラック用のタイヤの片付け。父に持ち上げられるはずもなく、私が持ち上げるはめに。
その日もうだるような猛暑。
「こんなことヤメナサイ!」
という私の制止にも聞く耳持たずの父。
ひとりで持ち上がらないトラックのタイヤなど、車店に処分してもらえばいいだけのことじゃないか。
なぜ片付けなければならないのか私には理解できない。
父としては15本ほどの処分の費用がもったいないらしいのだが、
とにかくそんな重いものを猛暑の中動かす行為がどうかしている。
そんな無理が祟ってこんなことになったのではないのか?
紹介された泌尿器科では飲み薬が処方されただけで帰ってきた。
一週間後も、管は取れず、次回は1ヵ月後のこと。
ところが、それからまもなく突然血尿が!
何か悪い病気でも潜んでいたのでは?と急ぎ受診した。
「よくあることです。2,3日で治まるでしょう」
薬の処方もなく冷ややかな態度に私は拍子抜けして帰ってきた。
その帰りに車が2回も止まった・・・。
幸い医者の言うとおり2日でキレイな色の尿に急に戻った。
が、
その3日後、また血尿に。
そしてまたも高熱。感染症とやらだろうか。
熱はどんどん上がって、39.5度までに(怖)
座薬を使ったが、父は震えが止まらないという。かかりつけ医に電話するも、来てくれない。
医者が言うには、「行っても熱が上がってるうちは、温めて水分を取らせるしかない」と言うではないか。
私は恐怖を感じた。
このまま熱が下がらなかったら、父はどうなる?
座薬が効いてくれることを祈るしかない。
幸い、震えは治まった。でも以前熱は高い。
水分を取ってくれたのも幸いし、汗で徐々に熱は下がってきた。でも平熱にはほぼ遠い。
食事の代わり、ヨーグルトやらプリンやら、果物の缶詰やら口当たりの良さそうなものを片っ端から食べさせる。
翌日かかりつけ医を受診。
何をされるでなく、座薬と抗生物質が出ただけ。
何のための医者か、つくづく考えさせられた。
結果、医者でもない私が看たんじゃないか!
医者でもない私だけが対処したんじゃないか!
10月、父が病んで1ヶ月以上が過ぎた。
尿の量は普通に戻ったと思うが、管が抜けて元の身体に戻れる日は近いのか?遠いのか?もはやないのか?
そんな期待を胸に審判の診察に行った。
行くたびに診察医が変わっている。某大学病院から招いているからだ。
この日の診察医は今までで一番の若さ。研修医に違いないのではないかと思う。
検査も行わず、今服用している薬の効き目をみるには3ヶ月は服用しなければならないの一点張りで
悪くすれば一生このままかもしれない、などど見当違いとも受け取れる発言まで。
「(こいつじゃ話にならん!)」
と黙って管の交換だけされて帰ってきた次第。
また感染症で高熱とか血尿とか恐怖の日が、最低向こう1ヶ月はつづくのだ。
どこぞにまともな医者はおらんのか!(叫)
10月7日(木)
「車のこと〜その1.エンジンがかからない、そして止まった」
我が家の車はマニュアル車だ。
父が購入していたが、仕事現役だった父が乗用車に乗ることがほとんどなかった。
私は帰郷当時、中古の軽自動車を購入して乗っていた。
何度も事故ってボディのほとんどを新しくしたようなものだったが、結局エンジンに燃料が送れなくなりあえなく廃車。
それから家にあったトヨタの普通車に乗り始めた。
乗り始めて10年以上になったろうか、コロナ禍であまり乗らなくなった。
出かける機会を減らしたということもある。
買い物も大量に買いだめするし、どこかに出かけることもない。書道展にも行かない。
とにかく車に乗る機会が減ったことは確か。車検証をみると一年で走行距離4,500kmほど。
そんなだからか、エンジンのかかりが悪くなった。
しばらく乗ってなかったらホントにかからなくなって車店に連絡して来てもらったこともある。
すぐ来てくれてかけてくれたんだけど、以前からかかりが悪かったので、バッテリーを取り替えるた。
これが5月のこと。
それからは調子よく乗っていたのだが、8月下旬に父が体調を崩し、隣の市の病院に通院することになった。
9月に入って、またも体調を崩し病院に走った。
行きは調子よかったのに、問題は帰りに起きた。
この日、普通に走っていたら、突然アクセルが利かなくなったのだ。
「え?止まる!」
スー・・・と止まってエンジンも切れた。というかバッテリーの異常なのか?
寄せられるところで止まったからまだ良かったが信号待ちで突然止まったらと思うと気が気でない。
何度かエンジンをかけて、ようやくかかった。アクセルは利くだろうか。
吹かしてみる。
「行けるかな?」
なんとか走り出した。
坂にさしかかる。
「止まらないでくれ・・・頼む!」
なんとか坂は登ったが、音が怪しい。
坂を下りながらまた止まりそうな気配。
やはりアクセルが利かなくなり、スー・・・と止まってエンジンも切れた。
今度は周りは田んぼだけ。
携帯電話も持ってない。
近くに民家もない。
「どーしよー・・・(困)」
しばらく歩いて見えている近くの民家に行こうとしたが、道が途切れていて辿り着けなかった。
父を残した車に戻って、再度エンジンを試みる。
なんとかようやくかかって、アクセルも利き始め走り出した。
だけどまたどこで止まるか気が気でない。
家に帰るか、このまま車店に行くかで迷って、結局車店まで行くことにした。
工場にいた人を捕まえて、見てもらったがどこも悪くないと言う。
強いて言えば回転数が少ないとのこと。
「そんなはずないでしょ!2回も止まって来たんだよ!?」
「アクセル利かなくなったんだよ?スー・・・て!怖いよ!」
「バッテリーが先か、アクセルが先か分かんなくなったけど、とにかく止まったんですけど、どういうこと?(焦)」
もう、あんな思いはしたくない。
信号待ちだけでも怖いんですけど。
まだ、10万キロも乗ってないのにもったいないけど、止まるんじゃ怖いし。
これから冬場は特に怖い。
今年の冬はタイヤも買わなきゃいけないし、父はがっかりするだろうけど、
もう軽自動車に変えようかな、と本気で考えはじめました。
2度も止まってまもなく、中古の軽自動車を探し始めて、いつもの車店で26万円の車を見つけた。
乗れるようにして41万円だという。
今乗っている普通車を下取りしても2万円で、39万円という。
「(高いなー)」と思ったが、一応キープてことに。
他の車店にも当たってみる。太極拳や書道に来ている旦那さんが車店を営んでいるので
今まで取引していた車店から、この機会にかえるものよいかな、と思いたずねてみた。
条件は30万円台で走行距離5万km以内、中古の軽自動車。比較対象だ。
「30万円台となると最低でも確実に10万kmは乗ってますよ」
「うちではそういう車は自身もってだせませんね」
「下取りもできませんね、マニュアル車では価格がつきませんから」
旦那さんが言うのではなくて、パリッとした営業風の青年が傍らでキッパリつっぱねた。
「(これが息子か?)」
にべもない対応に「そうですか、んじゃまた来ます」と、二度と来ないけど、そう言って後にした。
他の車店ものぞいて見たけど、やっぱりいいなと思うのは8万kmほど乗っている車ばかり。
ネットとかで検索すると、驚くほど安いのがけっこうあるのだが、県外ばかりだし。
車買うなら故障の時は特に近いほうが何かと対応してくれるしね。少々高くても近くのほうが安心ではある。
それにしてもキープしていた39万円は高いでしょ!
35万円くらいなら、なんなら30万円にして欲しいくらいよ。
いやいや軽なんだから20万円台でも・・・。
前を通りかかると‘商談中’となっていたが、返事を2週間ほどしていないうちに‘商談中’が消えていた。
先を越されないうちに、あれに決めるしかないかな・・・。
(つづく)
10月8日(金)
「車のこと〜その2.tuziの交渉」
車体価格26万に車検つけて乗れるようにして41万だという。
社長が出て来たので、まずはうちの車を直したらどうかと聞いてみたが、部品があるかどうか分からないし、
ホントかどうか怪しいが、あっても10万はするという。
軽自動車に変えるとしたら、下取りは2万ぽっちで、41万-2万=39万。
「だから高い、って」
「35万にしてよ」
「んー、それじゃあ、4万を痛み分けで2万円引いて37万で」
「なんで痛み分けよ?」
「せめて36万したら?」
「いやあ、これ以上は」
「だったら、冬タイヤ付けなさいよ」
「中古でいいなら付けます」
「中古、って一冬はいて終わりじゃないでしょうね!2、3年は履けるのにしてよね」
「わかりました、探してみます」
結局、37万で購入することに決まっちゃったじゃん。
なんか乗せられたような気がしてなんないんですけど・・・。
奥に会長がいたので、声をかけてみる。
「会長、安くしてくださいよ」
「おー、久しぶりですねー。もうね社長に任してるから」
「そーなのお?」
それにしても、衝動買いしちゃったような気がしてならないんですけど。
社長は「大丈夫、いい買い物ですよ」なんて言ってるが、
「なにが大丈夫なんだか分かんない」
「事故車じゃないでしょうね!」
「違いますよー。うちの会長は関東の方から買い付けてますので、状態はいいんですよ」
「軽自動車は車体が寿命ですからね」
そーなのかあ?エンジンじゃないのかあ?
とにかく37万+冬タイヤ、てことで決まってしまった。
あれよあれよ、というまに決めてしまったせいか、
うちの普通車、調子が良くなったのに、2万ぽっちで手放すのがだんだんもったいなくなってきた。
まだ9万6千`しか乗ってないのに、20年の愛着がここにきて湧いてきたのだ。
父も言うようにもったいないよ・・・。まだまだ乗れる・・・。
その日の午後に書類関係の手続きに入る準備を進めに社長が我が家にやってきてた。
「これから交渉はこちらで進めましょう」
「事務員とかに聞かれると、冬タイヤとか付けたのマズイんだよね」
知らねえよ。
そして早速冬タイヤを1本だけ持ってきていて、「これでどうですか。これなら2、3年は大丈夫」
「はあ・・・」
「あとで3本持ってきます」
「車と一緒でいいですよ」
「いや、会社に置いておくと無くなるんで」
「どういうこと?tuzi様って書いてたら?」
「工場に置いておくて無くなるんですよ。鍵閉めるようにしてるんだけど、信用してないって社員に思われるし」
「鍵閉めてても、持ち出すのは親父(=会長)だったりするんで」
「えー!?どんな会社よ!?」
というわけで、車の前に冬タイヤだけが届いた。
やはり、いま乗ってる普通車が2万円ぽっちだなんて腑に落ちない私は、
往生際悪く、ネットの簡単見積に今乗ってる普通車の下取り価格の相場が知りたくて入力してみた。
すると、価格が表示するのではなく、複数の会社から電話が来るようになった。
車種、年式、走行距離など入力したのだから、だいたいの価格はでるでしょう、と思っていたが、
どの買取会社でも「見せていただかないと価格がでない」と口を揃えて言うのだった。
「だいたいでいいんですけど」といっても、「見せていただかないと」と価格を一切口にしない。
面倒くさいので、「じゃ、いいです」と電話を切っていた。
だって、車検証とかもコピーを置いて行ってるんだもの。
本決まりの書類は出しないけど、もう話しは進んでいるのだし。ここで話しを覆すのもね。
そうこうするうち、具体的な価格を聞いてきた買取業者があった。
「5、6万にならないものかと思ってね」
本音では10万くらいになればいいと思っているのだが。
すると、電話口で「それ以上になると思いますよ」と言うではないか。
だったら見てもらうのもいいかも。まだそっちに売ろうと思えば法的に売れるんだし。
軽い気持ちで、見積もってもらうことにした。
もちろん、電話でコピーになってることも話したし、交渉に入ってることも話した。
それでも、はるばる遠くから高速使って来るという。
「うちの車、そんなに魅力があるのかな?まあ、クラシックカーだからね」
「5、6万以上になるんだってよ。今から来るんだって」と、父に話すと、
「じゃ、電話しとけよ。話しついてるのに勝手に売れないだろ。売ってもいいか聞いてみろよ」
「会長のことだからヘソ曲げるぞ」
そう言われればもっともな話しなので、電話したが社長は不在だったので「売ってもいいか」事務員に言伝てておいた。
1時間ほどして、もうそろそろ買取業者が着くかな、という時間になって、先に社長が表われた。
すっ飛んできた感じ。
「そういうのは悪質で、その場で車持っていちゃいますよ」と言うではないか。
「いや、持っていかれては困る、という話しはしてますので、それはないですよ」
「でも、しつこくて売るまで帰りませんよ」
「いや、売らないといえばそれまででしょう、売るとなれば原本持ってるおたくとの交渉ですから。
そうでしょう?」
「契約に入ってるんだからさ、ダメですよ」
やっぱ、軽自動車も高いけど、安く下取りして、そっちでさらに大きく儲ける気なんだから。
お見通しなんだよ。
「もうすぐ来る時間だから、社長から話してよ」
「はい。います、います」
そこへ会長から指示の電話が鳴って、社長は自分の車を門のギリギリまで下げて、
他の車が入って来れないように止めに行った。
やっぱ、影のフィクサーは会長だったのだ。
おおかた会長に「行って来い!」といわれて飛んで来たに違いない。
社長は会長の手先に過ぎない。それでも会長が来ると言うのだけは阻止して来たのだという。
会長の支持で入ってくる車を阻止する止め方をしたのだろうが、なんとも猪口才なやりくち・・・。
会長の性格を知ってるだけにいかにもだ。
これでは高値でも他の業者に売れそうにないな・・・。
そして買取業者から到着したとの電話が鳴った。
(つづく)
10月14日(木)
「車のこと〜その3.若社長と自動車学校」
車店同士で話し合ってもらうことにして、私は表に出ないことにした。
都会車店と地元若社長の交渉。
若社長が原本を持ってるわけだから、渡してもらわないことには私も売るに売れない。
ま、私が都会車店に強行に売ると言えばそれまでの話しであるが、
下取りも含めての契約だから、その時は契約し直しになるのは必至。
現在の37万でなくなるし、面倒くさい、が先立つ。
それでも差し引き安くなればそれに越したことはない。しばらく道端で喧々囂々の話し合いをしていた。
熱くなってるのは若社長だけで、都会人はあくまで冷静でスマートだ。
都会との取引、付き合いはないのですか、と聞かれた若社長は、その一言でカチンときたらしい。
田舎でしか取引してないことを恥じながらも、開き直って虚勢を張り、引くに引けなくなったみたい。
遠くからそんな様子を伺っていると、電話が鳴った。
何事かと心配したお隣の奥さんからだった。
「お騒がせしてます。車店さんなんですよ」
「だったらいいんだけど、家に如何わしいセールスが訪ねてきたばかりだから、その人たちかと思って」
お隣まで聞こえるほどの騒ぎなのか・・・。
30分ほどして両者、事情を聞きに玄関先にやってきた。
都会人はパリッと糊のきいたワイシャツにスーツ姿。ピカピカの尖った靴。洗練されて清潔感溢れるいでたち。
一方、若社長は油がしみてる薄汚れた青いツナギ姿。
私としてはいくらで引き取るのか金額を聞きたい気持ちだったが、聞いたが最後。
また面倒くさい話になるな、と思ったので聞かないことにした。それに若社長にマークされて聞くにきけない。
すったもんだの末、結局都会人は先に交渉している若社長を立てて帰って行った。
私としては、きっと得をしただろう都会人に売ればよかったと思うが、かちあったのがよろしくなかった。
でも一報しておかないと、それはそれでよろしくないし・・・。
田舎車店に軍配があがったのだから、この機会に庭に散乱している、古タイヤを持っていってもらおう!
今言わずして、いつ言うの!
まさしく、今でしょ!
今乗ってる普通車の履き古しが8本ほど。
庭の裏手に積んである、昔のタイヤいろいろが16本ほど。
あとは父が片付けて体調崩したいわくつきの大型トラックのタイヤ、14本ほど。
だからさ、動かずことなかったんだよねー。こういう時に持って行ってもらえばそれでよかったんだから。
そう言ったにも関わらず、聞く耳持たずに猛暑の中動かして体調いまだに戻んないじゃん。バカだねー。
大小取り混ぜ38本。キレイに持っていってもらった。
普通だったら2万円くらい、こちらが支払わねばならないところでしょうが、処理代金はもちろんタダ。
ふ〜、さっぱりした〜♪
やっぱ、なんだかんだ儲けられても、車店は地元に限る。・・・と思おう。
さて、今度購入した車はオートマ車だ。
私はこれまでマニュアル車にしか乗ったことがないので、初めてのオートマ車なのである。
とても不安だし、運転の仕方がまったく分からない。
一度は自動車学校で講習を受けねばと、予約を入れて練習しに行くことにした。
とりあえずの操作は分かった。
でも怖いと感じたのはドライブに入れたら、アクセルを踏まなくとも走り始めるという点。
マニュアル車ならアクセルを踏まない限り前進もバックもしないではないか。
だけどオートマ車は走り始めてしまう。
・・・怖いよ〜。
利点は、坂道で止まっても下がらない点かな。
でも新車を購入したばかりの友人いわく「少しは下がる」とのこと。
結局、怖いじゃん。
高齢ドライバーの事故がオートマ車で多いのがうなづける話し。
教習所の先生が隣りで、「お母さん、カーブでスピード出しすぎ!」
「お母さん、車線はみ出てます。完全に事故りますよ!」
「お母さん、車庫入れしてみましょうか」
年下なのか、もしかしたら自分のお母さんと私が歳近いのかもしれないけど
それにしたってお母さん連発しすぎでしょ。
私、あなたのお母さんじゃないし、誰のお母さんにもなったことないし。
いやいや、そんなことよりオートマ車が怖い。乗れる気がしないんですけど。
慣れれば楽、って聞くけど、はたして慣れるだろうか、とても心配なんですけど(泣)
これから冬道になったら、それこそ怖いよ。エンジンブレーキないんだよ・・・。
怖すぎでしょ。
こんなじゃ車届いても乗れないかも・・・。
そうこうするうち、大安吉日、納車の日はやって来た。
父は、いま乗っている普通車を「一生乗れた」とお宝扱いして、私の後ろ髪を引くのだった。
もう、意を決して(←大げさな)乗るしかないのだ・・・。
(おわり)
10月17日(日)
「チッチの大怪我」
父が体調を崩して遠くの病院を受診せねばならないという日に重なるようにして、チッチが怪我を負って帰ってきた。
重なる時は重なるものである。
我が家では、こんな時手分けする家族がいないので、私一人で対処するしかない。
もちろん父が優先。チッチには2日間ガマンしてもらうしかなかった。
さかのぼって話せば、チッチは一週間ほど帰って来てなかった。
「交通事故にでも遭ったのだろうか」
と心配していた矢先のある夕方、「ニャー、ニャー」と鳴きながらチッチが帰ってきた。
偶然外に出ていた私。喜びもつかの間、正面からチッチの顔を見て驚いた!
顔に大きな傷。
耳から喉にかけて顔の半分が大きくえぐれているではないか!
「どうした!?チッチ?」
傷は犬にでも食いちぎられたかのようにドデカく、しかも一週間もその状態だったらしく
傷がかさぶたで覆われており、頭を振るたび「カポカポ・・・」と音が鳴る。
中に膿がたまってとんでもない事になってるのだ。
耳もカチカチになって硬くなっている。かなりの重症だ。
中の膿を出して傷口を消毒できれば良いのだが、かさぶたが分厚くて私の手には負えない。
チッチは熱と痛みとで横になってしまった。
そして、せわしなく動き回っては冷たい所を探してか、父のベットの下にもぐりこんだりしながら、ぐったりしていた。
いくらかでも食欲があるのが幸いだ。
ようやく、いつものS動物病院へ連れて行くことができた。
切開して膿を出し、チッチの傷が明らかになると、中で肉が腐っていて、しかも喉の血管が見えるほどまでに。
かなり腐敗が進んでいて、腐ったところを取り除くと、パックリと大きなクレーターになってしまった。
一緒に帰るつもりでいたのだが、先生の説明は「2週間ほど入院して、縫合します。
肉がないので、お腹から肉を移植して形成手術することになりますので、大手術になります」とのこと。
そんな大げさなことしなくたっていいじゃん。
と心の中で思ったが、今日のところは麻酔も効いているので泊めることにした。
家に帰ってきても、やっぱりチッチが気になって仕方ない。
夕方、電話してチッチの様子を聞いてみた。
「静かにしてますよ」と無愛想な助手の返事。
翌朝、様子を見に行く。
手に点滴の針があるので、大人しいのだろう。
ご飯が空になっている。絶対足りてない。
連れて帰りたいが「家中、血だらけになるよ。敗血症を起こしやすくなってる」と言われて断念してしまった。
でも、このまま入院させておいて、お腹の肉取られることを思うと恐ろしく、
それに食べたいだけ食べられないチッチを思うと不憫でならない。
翌日、私は意を決して先生に「連れて帰ります」と宣言した。
「まだそんなこと言ってるの!」と激怒されたが連れ帰ることにした。
激怒したから値段吊り上げられたかは定かでないが、2日入院して治療代〆て6万円!
とんでもなかった!時価だもの。
2週間入院させてたらどんなことになったんだろ?!
チッチの怪我は隣り近所でも評判で、治療代の6万円を話すと、「ぼられたんだ」と言われてしまう始末。
帰ってくるなりパトロールに出たがるので、急ぎ犬用のハーネスを買ってきて、後を付けることにした。
が、甘い考えだった。
猫は猫。犬じゃないからあっけなく限界がきた。
それでも3日間ほど付けてみて分かったのだが、パトロール範囲がハンパなく広大ということ。
しかも夜道は危険極まりないこと。
家を中心に2km四方はあるだろう。
・・・てことは、コミュニティ全域よ。
あれからひと月半、自然に任せて毎日消毒して手当ていたら、傷口はふさがり始め、
あと一週間もあれば完全にふさがるな、というところまでこぎつけた。
ところが、その矢先!3日ほど前のこと、
また傷口が喉まで広がったではないか!しかも臭い!
「ん、もう!なんなんだ?!またケンカしたのかあ?!」
もう、激怒されたS動物病院へは行けないし。
まだ、かさぶたはなく傷がオープンなのでまだマシだが、そんなチッチに困り果て、
父は父で、まだ療養中でありながら薪割りを始めるし、
しかも、ほどほどに作業するということができない性分。休むということを知らない。
困ったオス共に頭を抱えるtuziです。
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