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別名『鶴島城』
天守
 現存 重要文化財
 三層三階 層塔式 唐破風造の玄関付  
遺構
 天守、上立門、石垣
形式
 城址は国史跡 平山城(ひらやまじろ)
城郭構想
 藤堂高虎 
城主
 西園寺宣久 藤堂高虎 伊達氏9代
天守築城
 伊達宗利  
所在
 愛媛県宇和島市丸之内1丁目
着工
 寛文4年(1664)
鉄道
 JR予讃本線 宇和島駅〜徒歩で10分くらい

 「歴史」 
天慶4年(941)
藤原純友の乱が起きたころ築城され、橘遠保がここを本拠として純友を討ったという
その後は、宇和島城の前身、板島丸串城は亀ヶ淵城主・来村殿西園寺宣久が板島丸串城を本城としていた

天正13年(1588)
伊予国の領主小早川隆景の家臣・持田右京

天正15年(1590)
戸田勝隆の家臣・戸田与左衛門が在城
この頃、城には堀、城門、櫓などや板島の町といわれた小城下町も存在した

文禄4年(1595)
7月、藤堂高虎が伊予国宇和郡の領主となり、丸串城を本格的に築城
標高80mの平山城で、城地は不等辺五角形、
北西部は海、東南部の三面は陸地に接し、堀には海水が導入されていた

慶長元年(1596)
当時の望楼型天守を完成させた
現存する天守とは大きく異なる姿で、岩盤上に建っていた
藤堂高虎が構築した城を中心に五角形を成す城地は現在まで変わらない

慶長13年(1608)
富田信高が領主になるが、慶長18年(1613)改易、高虎が幕領となった宇和郡の代官を務めた
この藤堂・富田両氏に時代に城郭が整備され、辰野川・神田川の改修によって城下町の町割りも完成

慶長19年(1614)
伊達政宗の庶長子秀宗が宇和郡十万石を拝領
板島は宇和島、丸串城は宇和島城(のち別称鶴島城)と称された

元和元年(1615)
3月、伊達政宗の長男秀宗が入城、その子宗利の代の大改修によった
白亜塗込めの三層造りで、玄関が付属。

寛文2年(1662)
二代藩主宗利は老朽化した城の修築を幕府に願い出る

寛文4年(1664)
幕府の許可を得て修築工事を開始
この折に天守が建て替えられ、現在の層塔型の天守となる

寛文11年(1671)
落成
層塔型、白亜塗込めの三層造りで、唐破風造の玄関付
下見板張りで、入母屋破風が交差する現存する天守
城は天守のある丘と麓の平地に御殿や重臣屋敷を構える平山城(ひらやまじろ)

宇和島伊達家は以来、明治の廃藩置県まで9代にわたり領有した
8代宗城は、幕末から明治維新にかけて活躍した名君として知られている。

 「変遷」  
●高虎築城当時は、城の北と西側は直接宇和島湾に面し、堀は海水を引き入れ、
外郭の約半分が海に接する海城であった。
二辺は海、三辺は外堀に面していたが、現在、宇和島湾(新内港)の埋め立てにより海は遠い
加えて特徴であった五角形の内堀は、明治維新後埋められ、建物も順次取り壊されてしまった

不等辺五角形の縄張りで、城を囲まれた際に寄せ手に四角形の城と誤認させ、残る一方から反撃する戦法
江戸幕府の隠密もこの城を四角形の城であると報告していたという逸話が残る

●秀宗当時の宇和島城の規模は、城郭の周囲十六町(一町は約百九メートル)その東向きに追手門、
南向きに搦手門があって城下町に通じた
頂上の本丸に天守閣、その下に二の丸、三の丸があり、物挟間数1005、丸之内小路十三町、櫓数35、
城内外の番所20ヶ所があった
北西部は宇和島湾内の遠浅の海岸に接し
北流する辰野(たつの)川と、南流する神田川(じんでん)が外堀の役割を果たす

●17世紀後期から19世紀前半にかけて造成が進み、御船手の港は縮小され、六艘堀も狭くなり、
住吉山の麓に外港として御上り場という波止場がつくられ、灘浦の突端には常灯(灯台)が設置された
南部では浜御殿の沖が造成。幕末には北側の堀は空掘になっていた

●北西部は明治末期四代宇和島町長中原渉がこれを大改修して港湾として蘇生させた
宇和海沿岸、九州、関西方面を結ぶ和船や発動機船が輻湊したが、
太平洋戦争後に埋め立てられて市街地化された

●明治になり、ほとんどの建物が破却
内堀は明治維新後埋め立てられ、建物も順次取り壊された
天守のほか追手門〜重厚な本瓦葺き(当時国宝)などは残ったが、
昭和20年の空襲で追手門焼失、天守と搦手門にあたる上立門(あがりたちもん)のみが残る

石垣はほぼ完全な形で残っている
現在はないが南登口(上立門側)から登ると、7つの城門があった。櫛形門は本丸へ入る最後の門である

●典型的な一二三段の平山城で標高は約80m。
最高所の本丸は三層三階、天守東面から見ると、初層に千鳥破風、二層に唐破風、玄関を備える
今は残っていないが三の丸月見櫓は河後森城の天守を移築したものであったと云わる

●市内には追手門跡があり、住吉公園内に樺崎砲台跡と市立歴史資料館がある




平成26年11月19日(水)

「漆黒の宇和島」

四国遍路に来て5日目。
今日の祈りを終えた夕方、バスの車中から宇和島城が見えました。
今晩は宇和島市内のホテルに宿泊です。
到着した頃は、すっかり暗くなってまして、部屋からはライトアップされてるお城が見えました。
「いいわぁ・・・」
やっぱ、間近で見たいです。
散々、お寺参りで山登りしてるにも関わらず、登城となるとまた別もの・・・。
「宇和島城に行きたいのですが」と、フロントで聞いたところ、城門が閉まってるから、もう登れないとのこと。
明日の朝6時にならないと開かないのだそうです。
高台にあるお寺からならライトアップしているお城が見えると聞いたので、とりあえず出かけることにした。
ならば、散策を兼ねて、道を覚えるためにも一度城門まで行ってみようと思った。
食事(夕食)を早々に済ませ、立とうとすると、「夜の宇和島は危ないからやめなさい」という先輩の忠告が。
そんな忠告もなんのその。
だって「(宇和島は‘市’なんだし、まだ6時台。日本に名の知れた宇和島市は繁華街でしょ?)」と思い込んでる私。
なのに出がけに、フロントの人にも夜に城門に近づくのは危険だと言われてしまいました。
「(そんなに危険なの?なんで??)」
半信半疑の私は、城門には行かずに、ひとまず見晴らしがいいというお寺に登ってみることにした。
てか、階段が暗くて、それこそ危険だったんですけど!
「(暗いよっ!)」
登ったはいいが、思ったほど見えなかったので、今度は宇和島駅を目指すことにした。
それにしても閑散としてる・・・
まだ6時台だというのに人がいない。すれ違うのは自転車の高校生だけ。
駅前だというのに車も走ってない。
みやげ物店はほとんどが閉まってる。
「(宇和島、って、もっと都会かと思ってたのに・・・意外すぎる)」
駅舎は立派だが、中には高校生が5人ほど。寂しすぎる・・・。
これじゃ、危険だといわれるのも無理はない。
駅前の商店街もほとんどシャッターがおりて、開いているみやげ物店にもお客がいない。
とにかく歩いている人がいないんだから驚きだ。
「(まさか宇和島がこんなに関さんとした町とは思わなんだ・・・)」
宇和島、といえば闘牛の町。男どもの熱気溢れる町、そんなイメージが私にはあった。
私は駅近くの公衆電話から父に電話をし、宇和島の意外な様子を話した。
そして、ひとっこひとり通らないような閑散とした商店街を通って、めげずに城門に向った。
到着してみるとやっぱり暗くて怪しい雰囲気ムンムンだった。
私は早々に立ち去り、ホテルに戻った。ホテルまで時間を計ってみたら最短距離で5分。
明朝6時の開門に合わせて、朝食前に城に登ろうと思う。
人がいないせいか、メチャメチャ寒かった・・・。


宇和島、といえば闘牛
暗くなってからの宇和島は人通りがないので、誰かに会うと逆に怖い。
まだ6時台なのにね・・・。

翌朝、5時15分にモーニングコールを頼んだ。
顔洗って5時45分に出発。城門に5時50分とうちゃこ。6時前に着いたけど、すでに門はあいていた。
昨晩も真っ暗なら、今朝もまだ真っ暗だ。
「懐中電灯も持たずに大丈夫かぁ?」と門番のおじさんに心配されたほどだ。
「入ったらすぐに折れるんだよ」と教えてもらい、足元もよく見えないが根性で登り始めた。
「(なんも見えないよ〜)」
まっすぐ行ってたらどこに行っちゃったんだろ??
なんとか迷わず天守目指して登ったはいいが、天守に着いても、まだ真っ暗だった。
城に三日月がキレイです。


月明かりが煌々と・・・

明るくなるまで城の玄関板間に座って一休み。寒い。そして誰もいない・・・。
6時半になってようやく明るくなってきた。
天守にはラジオを持ったおじさんたちが集まってきた。6時半にラジオ体操すると言う。
「天気がいいと、灯台の向こうに風車が見えるんだ」と教えてくれた。


虎口から宇和島湾を見る
(虎口だよね?・・・つーか、虎口ってなんだ??)
けど、暗すぎて風車はおろかなんも見えない・・・

それからしばらく山頂でウロウロして、明るくなるのを待った。
7時近くになってようやく白み始めた。
明るくなった頃にはもうホテルに戻らねば、出発時間に間に合わなくなってしまう。

ようやく明けてきた・・・



宇和島城の天守は小っちゃいけど現存天守である。
しかも玄関付で、日本の城の中でも珍しい構造を持っている。
私は宇和島城を暗闇でしか見てないし、もちろん中を見学することもできなかった。
だけど、登城口を入った瞬間、タイムスリップしたかのような、あの石段・・・。
山頂までのぶ厚く苔むした石垣・・・。
天守への虎口の高さといい、アプローチのすべてがいい!
天守も現存で申し分ない上に、登ってきたその道中の古さが極上である。
宇和島城の魅力は登りながらの石段、石垣にもあるといえよう。



下山しながら天守を見上げる。
ブレブレの写真ですが、この折れた階段、この苔むした石垣。
これぞ現存の凄み♪
ぜひ、この雰囲気を楽しんでくれたまえ。



天守ばかりが城ではないのだ。
現存する石段、石垣のパワーは計り知れないものがあります。



7時頃、城門に下山。戻ってきました。夜の6時から朝の6時までは閉まっています。
(城門はここばかりと思っていましたが、実はここは北口の藩老桑折氏武家長屋門でした)
このあたりは暗くなると危険なニオイが漂っています。
私くらいのアダルトな大人の女になると危険と知りつつ近づいても平気ですが、
若いお嬢さんの夜歩きは気をつけなはれ。


門近くに貼ってあったポスター
「闘牛も見たいっす・・・」

今回はとにかく駆け足で登っておりて・・・ホテルまでの行き帰り合わせて所要時間1時間てとこでしょうか。
暗闇の道中と暗闇の天守とで、あたりは全然見れませんでした。というかそんな余裕はありませんでした。
天守をひたすら目指すのみで・・・。
それでも現存する力の魅力を十分堪能することができました。
だけど、こう時間がなくちゃ反対側にある上立門(あがりたちもん)の存在を知る由もありません。
てか、暗いし、忙しいしでとにかく登っておりてが精一杯でした。
まわりを見る余裕などあるはずもなく・・・。
次回の機会がありました時は、明るいうちに縄張り内(=城の敷地)をゆっくり堪能し、
南口の上立門へ下山し、時間があれば伊達博物館などにも立ち寄りたいものです。