正式名称は『松山城』 別名『勝山城』『金亀城』
天守
 再建
 地下1階 地上三層三階
 連立連結式天守  
遺構
 重要文化財(天守、櫓、門など21棟)
 天守、櫓6棟、門7棟、塀7棟、石垣、
 城堀(三の丸)
形式
 城址は国史跡 平山城
築城者
 加藤嘉明
城主
 加藤嘉明 蒲生忠知 松平氏
14代
着工
 慶長7年(1602)
所在
 愛媛県松山市丸之内
鉄道
 JR予讃線 松山駅〜徒歩で15分くらい

 「歴史」 
慶長5年(1600)
11月の関が原の戦いで加藤嘉明は東軍に属して活躍

慶長6年(1601)
伊予半国20万石へと加増され新しい城の建築を企画
松山平野の中心の勝山に築城することを徳川家康より許可される

慶長7年(1602)
1月15日工事開始、完成まで13年
勝山に起工し松山と命名し、城下町も建設した
しかし、竣工間近に嘉明は会津に転封
完成は26年後の蒲生忠知(ただとも)の寛永時代
標高132mの山頂に、本丸、山麓に二の丸、北側に北の郭、東側に東の郭を設けた
本丸の全長は300mにも及び、地形をうまく利用して櫓、門を配置し、壮大な石垣を築いて防御を固めている
また5層の天守も建造されている
本丸と二の丸の標高差は90m、この間も山の稜線沿いに渡塀、石垣が構築されている

寛永4年(1627)
嘉明は会津に転封となり
蒲生氏郷の孫、忠知(ただちか)が城主となり、5層天守完成、あわせて二の丸の整備を行った

寛永12年(1635)
子孫なく蒲生氏が断絶した後、徳川家康の甥松平(久松)定行が伊勢桑名より15万石で入封、以降14代定昭まで居城とした

寛永16年(1639)
幕府の許可を得て天守の改築にとりかかり、松平定行が5層から3層に変えた

寛永19年(1642)
3層天守完成

天明4年(1784)
元旦に落雷にあいすべての建物が焼失
幕末のこの時、5層から3層に改築された天守も焼失

文政3年(1820)
その後、藩の財政上の理由によりなかなか再建できず、12代藩主定穀(さだよし)の代にようやく天守等の建物が
再建し始まる

安政元年(1854)
35年要して現在の天守完成、現存する天守の中で最も新しい
幕末の築造天守であるから、曲線や大きな破風などはなく、屋根や破風には反りが少ない

昭和8年(1933)
放火事件で、小天守、南北隅櫓、多門櫓が焼失

昭和20年(1945)
空襲で乾門などが焼失

昭和33年(1958)
馬具櫓を鉄筋で再建

昭和43年(1968)
小天守、南北隅櫓、多門櫓、十間廊下を木造で再建
以降も

昭和48年(1973)
筒井門、太鼓門、天神櫓、巽櫓、太鼓櫓などを再建

平成18年(2006)
天守など7棟の保存修理が完成

 「変遷」  
●加藤嘉明が創建当時は5層の天守を持っていた
標高132m独立丘陵の上に本檀
※天守を中心とした曲輪(くるわ)を本壇という

●二の丸御殿は明治になって焼失した

●本丸、二の丸、三の丸跡は昭和27年3月29日に国の史跡に指定される

●現存天守は嘉永5年(1852)再建のもの
天守のほか櫓、門など21棟が重要文化財
築城当時5層だった天守は、改築・再建を経て、地下1階地上3層3階となった
本壇西側に左右対称に並ぶ南北隅櫓は昭和43年(1968)の再建で、十間(じっけん)廊下で接続されている。

●本壇に現存する櫓と門は、野原櫓(のはらやぐら)、乾櫓(いぬいやぐら)、紫竹門(しちくもん)、乾門(いぬいもん)
●本丸に現存する櫓と門は、戸無門(となしもん)、隠門(かくしもん)、筒井門太鼓門馬具櫓太鼓櫓




平成26年11月20日(木)

「松山、開門事件」

お遍路に来て6日目、毎日のように階段を登り下りして、時には山登りになる時も。
今朝は宇和島城に登ってきた。
どんだけ登ったらええんじゃ・・・。

今日も43番札、所明石寺の長い階段。
44番札所、大寶寺の山登り。
45番札所、岩屋寺のきっつい階段を延々と登る。
途中、休憩しながらじゃないと、とても登れない長い階段、石段、はたまた橋を渡りながらの道中。

でも今晩は温泉です♪
足の疲れを道後の温泉で癒そう♪
でも、温泉の前に松山城でしょ♪
ホテルに到着する頃はもうあたりは真っ暗です。
道後の温泉には歩いて5分もかかりません。食事の前に散策兼ねてお土産を買いに行きましたが、お城は見えません。
見える気配すらありません。
「(遠いんだろうか・・・?)」

帰ってフロントで聞いたところ、坊ちゃん列車に乗って、県庁前で降りれば近くで見られるということ。
近くの駐車場からピンポイントでみえる場所があるらしいとの情報も得ましたが、
確実なところで、列車に乗って行くしかないでしょ。
で、帰ってきてから、ゆっくり道後温泉に入りに行くという予定で・・・。

食事もそこそこに私の気持ちは「松山城」に飛んでいました。
道後温泉駅から県庁前まで路面電車に乗った。
「(けっこう遠いんじゃん・・・)」
フロントの気品のある支配人に教えてもらったとおり県庁前で降りたはいいが、お城が見えない・・・
「(どこじゃ??)」
今思えば、松山駅方面に向って歩いていたようで、振り向いたら
「おおっ!!」
山の上に壮大な城郭が!松山城を見上げる。
さすがに大きい。
二の丸の城壁のしっかりしたたたずまいは堂々としている。
「さすが、松山城!」
ライトアップされた天守は高くそびえて、てか山が高い。
壮観な眺めである。
それにしても、ピンポイントである。暗くて全景がよく分からないし、なんだかイマイチである。
「(公園に行けばもっと広く見えるのか・・・?)」
通りがかりの自転車の高校生に聞いてみた。
「ね、もっとお城が見えるところってないの?」
「んん〜・・・」
高校生たちは唸っていたが「公園に行ったらもう少し見えるかも・・・」そう言われて、私は公園内に入ってみた。
さっきよりは視野がひらけてさらに大きく見えた。
ライトアップされてるとはいえ、それでもなんか暗いし、遠いし・・・やっぱり、イマイチなんだなぁ。
「・・・ん?」
なんか、スロープが見えるんですけど・・・?
茶色の柵がスロープ状に螺旋になっているのが見えるんですけど。妙に気になるんですけど。
「あれってもしや・・・?」
登れたりして?
半信半疑だけど行ってみた。
「あーら、登れるんじゃん!」
宇和島城のように城門があるわけでもなく、ま、途中で入れなくなるかもしれないが、とりあえず登ってみよう。
外灯もあるし、広々としたスロープ状のアスファルトの道。楽々登れる。てか、登るしかないでしょ。
それにしてもこれはかなりキツイ。
朝は宇和島城に登ってきたばかりだし。だんだん足が上がらなくなってきた。
てかさあ、今日も散々お寺登りしてきてるのよねー。
どこまで続くんじゃー(泣)
途中、二の丸へ『←』の矢印が見えましたけど、立ち寄りたい気持ちを抑えて、先を急ぐ。
てか体力的に余裕がなく、まずは天守を目指して登ろう・・・ってことで。
延々と登ってる間、蛍光色みどり色のスーツを着たジョギングの男の人と2回もすれ違った。
たぶん、トライアスロンかなんかしてる人だと思う。
私がタラタラ登ってる間、彼はすでに2周してきているのだ。
私は息も切れ切れで「速っ!2周目ですよね!?」と声をかける。

私は城門をふたつ、みっつほどくぐり、裏口のような細〜い通路の門をくぐったりしながら
ようやく天守にたどり着いた。
途中の城壁の高いこと。こんなとこから石なんか落とされた日にゃあ・・・。
また曲線の険しいこと。
暗すぎて「もしかしたら進入禁止を入っちゃったかな?」くらいに細〜くなったところを通ったりもした。
こんなデッカイお城は初めてです。
いくつものデッカイ門からチッチャイ門をくぐる。


高すぎてカメラに収まりきれません

ようやく、天守が近づいてきました。
桜の木がたくさんあります。
山上には誰もいない・・・。

二の丸にも寄りたかったんだけど・・・

道なりに天守をの周囲をグルッとひとまわり。
このマスコットを目印に一周したことを確認し下りることに。

天守の称号・・・ってか誰?

下城に事件は起きた。
なんと、開いていたはずの門が閉まってるではないか!
「うっそー!?(焦)」
まさかタイムアップで閉められちゃったの?
それなら放送かなんかあるでしょ?
城内に人がいるのに閉めちゃうってどういうこと?
城に泊まれってか?
呆然とする私。
「かいもーん!(開門!)」
城内から開門ておかしな話しだけど。
警備の人に聞こえないかなあ、と思って声に出して叫んでみました。
さっきのトライアスロンの彼にでもいいです。誰かいませんかぁ・・・(涙)
返事がない。
こうなったら自力でどうにかするしかありませんて!
閂(かんぬき)だけじゃなくて、楔(くさび)も4箇所に打たれてある門です。
閂がハイテクなカギだったら、もうどうしようもない。それこそ諦めて城に泊まるしかない、と半ば観念してました。
私は、楔を外し、閂を動かしてみた・・・。
「やった!動いた!(喜)」
思ったより滑らかに動いた。
ヤバイ、自分で城門開けちゃったよ・・・。
だけど、このままここにいても出られないし仕方ないじゃん。
これで、‘松山城泊’にならずに済んだ、と思ってホッとして出たら、なんと!
「ギョッ!」
隣りの門が開いてるではないか!
暗くて見えなかったのだが、私が入ってきたのは隣りの大きい扉の方の門だったのだ。
同じくらいの扉がふたつ合体した門だったのでした・・・。
だからさー、暗くて見えないんだっ、つーの。
入ってくる時はぜんぜん気がつかなかったんだもん。
ゴメンなさい。
翌朝、警備の人が「誰がこんなイタズラしよったんじゃー(怒)」でしたら、それは私です。
暗かったんです。
隣りの扉が開いてたなんて知らなかったんです。見えなかったんです。
ゴメンなさい。

どうか許してください。
悪気はこれっぽっちもなかったんです。
私、本気でお城に泊んなきゃならないかと思ったんです。
いやね、それはそれでよいのですけど、天守はカギがかかってて入れないでしょう?
どこで寝たらいいのよー。
ともかく、門のカギがハイテクじゃなくてよかった・・・。

ところが、私の受難はこれで終わらず、道にも迷ってしまいました。
途中まで下りてきたら、分かれ道になってるんですよ。
「私、どっちから登ってきたんだっけ??」
ちゃんと標識見たんですけどね。
県庁方面に下りたつもりが、なぜかロープウェイのほうに下りちゃったんですよねー。
「うわーん(泣)また引き返すのに登んなきゃならないじゃん(泣)」て思ってたところへ、
さっきの、みどりのトライアスロンの彼が通りかかって、
「間違ってロープウェイに下りちゃったよー」て言ったら
「そうなんですよね。あそこの矢印紛らわしいんですよね」って親切に一緒に登ってくれました。
わざわざありがとう、お世話になりました。

もう、クタクタです。ヘトヘトです。グッタリです。
それにしても広かったです。
今朝行って来た宇和島城と比べたら、敷地は数十倍?天守だって何倍もありますし、なんたって絢爛豪華。
そう、「絢爛豪華」という言葉がピッタリかも。
だけど、私は宇和島城の方が好きです。
築城当時のまま残ってる、その重みは比較になりません。
だから、それは天守だけが城じゃない、ってことに還るんですけどね・・・。
松山城は復元とはいえ築城当時から、立派だったんでしょうよ。だけど、どんなに立派でも復元は復元なんです。
目で愛でるには「絢爛豪華」な松山城、往時を偲ぶには小ぶりながらも宇和島城かな、て思いました。
昔から残ってる遺構には敵いませんて!
ここ松山に関しては、門くらいなのかな?
そりゃ、シロウトの私にだって、古いか新しいかくらいの見分けはついても暗すぎて・・・。
とにかく、ゴージャスでした♪

さあ、道後温泉に行きましょ!
帰りがけ通りかかったら、ちょうど湯抜きをしていました。
真っ白でなにも見えません。
ホテル戻ってその話しをフロントのお姉さんにしたら、それは湯抜きではなく、霧のなんたらという芸術だそうです。
「最後の時間でしたね。見れてラッキーでしたね」と。
・・・その中をバンバン進んできた私って。
鑑賞するものだったのね・・・。

「霧の彫刻」という芸術作品でした

坊ちゃん列車にも乗ったし、松山城から無事帰還できたし、道後の温泉にも入れたし、タルトも買ったし・・・
松山城ポイントを教えてくれた気品のある支配人に「登ってきましたよ〜ん」て報告したら
絶句のあとで「天守までですか?」ってハンパなく驚かれました(笑)
門を開けてきたことは黙ってましたけどね。

今思えば、あの公園の薄暗い中、茶色の柵を発見し、登れるのではないかと思った私の勘のよさ。
これはもう、「城が私を呼んでいる」としか思えませんて。
『見えてるだろう?こっちへおいで〜、登っておいで〜』って・・・。