別名『吹揚(ふきあげ)城』
海岸の砂だまりにある城という意味
天守
 模擬 五層六階 望楼型 
遺構
 石垣、水堀(天守は模擬、櫓4基は復元)
形式
 城址は県史跡 平城(海城)
築城者
 藤堂高虎
城主
 藤堂高虎 松平氏10代
着工
 慶長7年(1602)
所在
 愛媛県今治市通町
鉄道
 JR予讃線 今治駅〜近いと思う

 「歴史」 
●戦国期の領主、例えば村上武吉や福島正則らの居城は今治平野の南部、海抜105m国分(こくぶ)山だった
居館は東麓の高台にあって土手・石垣で囲み、さらに家臣の屋敷や堀で周囲を守った山城の典型
小規模ながら金毘羅街道沿いの城下町には元禄7年(1694)まで町奉行が置かれた

慶長5年(1600)
11月、藤堂高虎が伊予国半分の20万3千石の大名として封入
閉鎖的な国分城を廃し、多数の家臣を集中し、経済的にも有利な今治平野の中央に新城郭と城下町の建設を計画
加藤嘉明がライバル(←城造りに関しては負けたくない)

慶長7年(1602)
6月11日、築城開始

慶長9年(1604)
2年後、9月完成
高虎は吹揚浜と呼ばれた今治の地に、オランダが築いた東インド会社の本拠ゼーランディア城を
モデルとした城郭を完成させた
これ以前、秀吉の大陸出兵の渡海で三島村上水軍を掌握するため甘崎城を築いていたが
それにかわる村上水軍の残党を束ねるための海の城だった

城郭の中心、本丸は一辺約80mの正方形
海浜に土砂を盛り上げて自然のままの巨石15mの石垣を積んだ
崩壊防止として犬走りをつくり、土台には多数の松丸太を沈めている
天守は初層の18m四方から5層の5.5m四方まで順次小さくなる5層5階の端正な独立天守であった

慶長13年(1608)
8月、高虎は加増され伊勢に転封
そのため、不要の天守や城郭の一部は解体されて大坂に運ばれ、家臣や町人の一部も高虎とともに移住

慶長15年(1610)
天守は丹波亀山城に移築される
現在の天守は昭和55年に丹波亀山城天守の古写真をもとに再建されたもの

寛永4年(1627)
「今治城絵図」によれば本丸の北方には空き地、三の丸堀と外堀の間はすべて田畑となっている
城は荒れ放題、瓦や堀の土も落ちたままの痛々しい状態に

寛永12年(1635)
伊勢長島より松平(久松)定房入城以来の10代247年間の今治藩は3万5千石であったが、
現在のような規模の城郭と城下町が壮大なのは、初期に高虎時代の20万石として建設されたためである
城郭の規模は本丸、二の丸、三の丸と居館および櫓20、海水を導く内堀、三の丸堀、外堀の三本の堀を含めて一辺が約900mの正方形
明治維新まで松平氏十代、230年間の居城となった
維新後は廃城となり、城内の建物はすべて取り壊された

明治2年〜5年
城郭や櫓、居館のほとんど取り壊され、堤防や石垣も順次開かれ畑に化した
郭内では本丸から二の丸、三の丸にかけての石垣と内堀のみが現存である

昭和55年
天守復元

 「変遷」  
海岸までわずか34m、長さ1km高さ5.5mの長大な石垣。その上に聳え立つ6つの浜手櫓
九州方面から関門海峡と豊後水道を航行する船は今治の北で激しい潮流に巻き込まれる
広島との来島海峡(くるしま)の航行も難航を極める地
中世は河野(こうの)村上水軍の拠点として軍事上の要所に建つ海城




平成26年11月21日(金)

「心の眼」

お遍路7日目、今治は瓦生産で有名です。この近くのお寺さんの屋根瓦も豪華になってきました。
例えば54番札所、延命寺(ご本尊は不動明王。特別ご開帳)の瓦です。
装飾的でしょ?


お寺で豪華な瓦を見ながら、車内では今治城を探す私・・・。
道沿いには左に瀬戸内海、右に瓦店が目立ってきました。
「(今治城近いはずなんだけどなぁ・・・この辺じゃないのかなぁ・・・見えてこないかなぁ・・・)」
たまりかねてドライバーさんに聞いてみる。
58番札所の仙遊寺の駐車場から今治城が見えるとのこと。



58番札所、仙遊寺(唯一‘空海’の名で像があった)の瓦もかっこよかった。

駐車場からは、確かに今治市内が一望できます。
さあ、見ていただきましょう!



分かりやすいように枝を目印にシャッター押してみました。
んっとね・・・
下に小枝が三本出てるでしょ?
その真ん中の枝の真下です。
黒っぽい屋根が見えるでしょ?
見えるんですよ!
私には見えたんですよ。
うふふ・・・これはね、見える人にしか見えないんです。
ちなみに、私の視力はたぶん1.0くらいです。それに乱視がけっこう入ってます。
それでもね、見えるんですよ!
黒っぽい屋根ですよ・・・。

肉眼では確認できない今治城。
だけど、私にはシッカと見えました。
お城が私に見せたのです(笑)←またかよ。
黒っぽい今治城の天守が、たしかに見えました。
だって、‘黒っぽい’って知らなくても「黒っぽい」言えましたもん。
(ホントに黒っぽいのか、知りませんけど)

写真撮ろうと、ふつうにカメラ構えた私に、ドライバーさんの一言。
「それ撮るん?」

今日はもう一ヶ寺で宿に向います。
今晩の宿泊は残念ながら、今治市内から離れてますので今治城探訪はできそうにありません。
私たちのお遍路バスは1号車と2号車の二台に分かれています。
私は2号車なのですが、1号車の宿泊は今治市内なのでした。しかも、けっこう今治城至近距離です。
ここから確信犯で1号車に乗っちゃえば、今晩は今治城に行けます。
ドライバーさんは「1号車に乗って行ってトランクで寝る(笑)いや、タクシーで帰ってもいいんじゃん?」と言ってくれたのですが、
そこまでして見なくてもね。
さっき写真も撮ったし(笑)
同じ2号車の渡さん(英語の先生)は「きっと映ってるから」と真顔で励ましてくれました。
そうそう、心の眼にしっかと・・・。