天守
 現存 三層三階 層塔型 
築城者
 生駒親正
形式
 城址は国史跡 平山城
着工
 慶長2年(1597)
遺構
 重要文化財
 天守、大手枡形門(高麗門(二の門)櫓門(一の門))
 東西の土塀
 御殿表門、番所、石垣、堀
城主
 生駒親正 山崎家治 京極氏7代
所在
 香川県丸亀市一番丁着工慶長2年
鉄道
 JR予讃線 丸亀駅〜徒歩10分ほど

 「歴史」 
応仁年間(1467-68)
亀山は宇多津聖通寺山を本拠としていた細川四天王の一人、奈良太郎左衛門の支城があった地である

天正15年(1587)
秀吉の命で讃岐に入封した生駒親正(ちかまさ)が17万3千石で入封

慶長2年(1597)
高松築城後、西讃岐の支配のため、当時丸亀浦と呼ばれていた海浜の地に亀山城築城に着手した

慶長7年(1604)
6年を費やし竣工
しかし、築城期間中に関が原の合戦が勃発
生駒親正(ちかまさ)自身は東讃岐の拠点高松城にあり、長男の一正を城主に据えた
一正は徳川側に、父正親は西軍大坂側にくみし、これにより一正は讃岐17万3千石を拝領
高松城に移り、奉行職の佐藤掃部が城代として就任した
この時代の城下は二つの堀をもち、外堀の東で東汐入川、西で掘によって海につなげられている

慶長20年(1615)
高松城主の生駒氏が支城として築いたものの、一国一城令によって廃城となった

寛永17年(1640)
お家騒動「生駒騒動」によって生駒氏は領地を没収、秋田へ流される
幕府は讃岐を二分し、東讃岐に親藩松平氏、西讃岐に外様山崎氏を配置

寛永19年(1642)
山崎家治が丸亀5万3千石に封じられると、翌年から丸亀城の大改修に着工
幕府も西国外様大名を海上から押さえ込むため丸亀城再築を応援
城は19年から30年余りを費やして、工事は京極氏に引き継がれ現在見られる城の規模になる

寛永20年(1643)
高石垣が築かれる

万治元年(1658)
3代山崎治頼氏に子孫なく17年で断絶となり、
京極高和(たかかず)が播磨国龍野から6万石で入封し再建を引き継いだ
以来明治維新まで7代220年間、丸亀藩を治めた

万治3年(1660)
現存の3層の天守(重要文化財)が完成した

明治2年(1869)
大火によって天守大手一の門大手二の門御殿表門以外を焼失

 「変遷」  
●京極高和(たかかず)が入城し、現在の天守を完成
天守のほか大手一の門、二の門と東西の土塀が重要文化財
讃岐平野に屹立する亀山に位置する平山城
標高66mの城山は、亀の甲羅に似ているため亀山と呼ばれる
現存古天守の中で最小 
三層三階の総塗籠天守で基礎は東西約11m、南北約9m、各層の逓減率が大きい
西側に入り口があり、初層には3方に腰羽目をめぐらし、2層の南北に唐破風、3層の東西に千鳥破風を飾る
三層三階高さ11m初層に石落としの張り出しを持つ

●内堀から天守まで4層の石垣。三日月形扇の勾配。名工羽坂重三郎の手による
最も高い三の丸北側は高さ21m、総高さは約60mで日本一を誇る
この石垣には秘話が・・・
出来栄えに満足した山崎家治が「このような堅固な石垣はもはや誰も登ることができないであろう」と重三郎を賞賛
すると、わずか一尺(約30cm)ほどの鉄の棒で猿のように登って見せたという
敵方に通じたら城の一大事と、井戸の上から石を落として口封じに抹殺
以来、重三郎の亡霊に悩まされ、3代治頼で断絶したといわれる
もうひとつ秘話が・・・
ある雨に日の夕方、たまたま通りかかった豆腐屋が、無理やり人柱として生き埋めにされた
以来、雨の日には豆腐売りの声が聞こえたと言う




平成26年11月23日(日)

「難攻不落」

お遍路9日目、いよいよ最後の県、香川に入りました。
これまで宿泊先に到着するのは、日が暮れてからでしたが、今日はまだ3時台。
明るいうちの到着です。
バスから荷物を降ろしてすぐ、フロントで「丸亀城を見に行きたいんですが、どうすれば・・・?」と聞いたところ、
フ姉)「それでしたら、コミュニティバスがあります。今からですと、3時17分発があります」
時計を見ると、tuzi「あと、2分しかないじゃないですか(驚)ホテルの前から出るんですか?(焦)」
フ姉)「ホテルを出て、道路の反対側が乗り場になります」
tuzi「その次は何時発ですか?」
フ姉)「1時間半後になります・・・」
えーっ!?だったら2分後に乗るしかないでしょ(焦)
tuzi「帰りの時間は何時がありますか?」
フ姉)「6時近くと、そのあとは7時半頃になります」
極端に少ないのね。うっわー、部屋に荷物持ってく時間ないよ・・・。
私は、添乗員の横山さんをつかまえて「バスが出ちゃうから、ごめん荷物お願いっ」と、
困惑する彼に半ば強引に荷物を預けバス停にダッシュ。

バス停には男性ふたりが待っていた。丸亀駅に行くのだそうだ。
オレンジ色のバスの車内には私たち3人だけ。
駅を過ぎて私ひとりになり、運転手さんに丸亀城に行きたいと話したところ、
女性の運転手さんに「ここからの方が近いですよ」と促されバスを降りた・・・。

下りたはいいが、お城らしきは見えない。
広場のほうに歩きはじめて角を曲がったら・・・

お城がドーン!


うっわー、高いしっ!
なに、この石垣!
ギリシャか!?
いいね、いいね・・・心が躍ります。



うわー、お堀じゃん!
完璧じゃん!稜線のきれいなこと!
城門の構えもいいねえ・・・
いいね、いいね・・・城って感じだよねー。
ドキドキ・・・



キャー、ステキー・・・

まず城門を入って・・・ おおっ!
これよ!これ、これ!
挟間になって、また城門。
(これを枡形という)
いいわあ・・・
私の思い描いた城門のかたちじゃ。
城の造りは攻防一体でないとね!
感激です・・・(涙)


挟間で遊ぶお子たち。
キョトンとしてないで「攻撃してくださーい」


見てよ、この城壁の曲線!
ピッ!ってなってるでしょ。
この切れ味がたまんないじゃん・・・。
松山城は高さで圧倒してたけど、ここは稜線が長く、切れ味がするどく美しい。


紅葉も石垣に映えてうっとりする美しさ。
なんてったって長い。
見とれながら登って、天守に到着した頃は薄暗くなってしまいました・・・
秋は日が暮れるのが早い。


この角度から見上げた天守もいいねえ・・・。
パシャッ。


下から見上げたときは、もっと大きいかと思ったら、意外に小さいかった。
けど、不思議にどこの角度から見ても様になる天守です・・・。


丸亀港が一望


帰りにもやっぱ石垣。
見てよ、この稜線の長さ!
絶妙の傾斜!
暗くなってきたけので、トワイライトモードでパシャッ!
ほらね、長い稜線が美しいでしょ?


すっかり暗くなりました。ふもとの土産物売り場も閉まってます。
ご当地キャラ、京極くん・・・はいはい、城主ですね♪
うちっ娘・・・はいはい、丸亀うちわですね。知ってるぅ。
とり奉行・・・。手羽?じゃないよね。もも肉?・・・え?知らなーい。


このまま大手門から出ようとして、ふっ、と左になにやら古そうな門が。
「あれはなに?搦め手にしては近すぎるし・・・」
なんか、よくわかんないけど古そう・・・(御殿表門=書院表門でしたとも言う。右は番所)


この門をくぐって庭園つっきって進むと、資料館に行けるのでした。
私は途中まで行きかけましたが戻りました。
戻りながらパシャッ!


そして、古そうな門(御殿表門=書院表門でしたとも言う)側から大手一の門をパシャッ!
いいねえ・・・


あーあ、すっかり暗くなっちゃった・・・
ライトアップされた丸亀城
いいねー♪


デコボコの石垣もいいのよねー
どこからどーみてもいいのよねー♪
丸亀城大好き♪
デコボコの堀も、石垣も、門も、お城の風景も・・・みーんな好き♪
実に男らしい城です


松山城が女性的で絢爛豪華なら、ここ丸亀城は男性的な堅固さを誇っている、
そう考えると宇和島城も男らしい城でした。
それに、なんと言っても、現存の重みですよ。
これは何をどう飾ろうが、復元では敵いませんて。

帰りのバス時間まで、バス停近くのドンキホーテをぶらぶら・・・。
そして宇和島を思い出させるような、車一台通らない大通り。
信号が青なのに、車が1台も通らない2車線。
ど真ん中に立ってパシャッ


しっかり丸亀城を堪能して帰りのコミュニティバスを待つ。
バイキングの夕食だったので、30分ほど遅れるけど食事に間に合った。

お城にダッシュで直行した私に皆さんから「どうだった?」と。
松山城より、丸亀城の方が城の機能が充実していることを話すと、
日本各地のお城を見ている藤田さんが「大阪城と丸亀城ではどちらがよかったですか?」と。
「そりゃ、丸亀城に決まってるじゃないですかぁ!比べものにならないですよ。
大阪城は鉄筋コンクリート造、エレベーター完備の近代建築ですからっ(笑)」
「それなら犬山城が好みかも」と教えてくれた。
犬山城は国宝ですもん。かねてから行って見たいお城のひとつである。
でも、その藤田さんは丸亀城はまだ見ていないのだそうだ。
だったら、ぜひ見て欲しかったなー・・・。
物静かな若奥さんは「tuziさんは城ガールなんですね」と。
うっ、ガールでは・・・(汗)
せっかく近くに来たから見ようか、ってだけで・・・

それにしても、丸亀城が明るいうちに見れてホントよかった。
次回訪れる機会があったら、搦手側から攻めたいと思うtuziなのでした♪