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別名『渭津(いのつ)城』
天守
 なし 天守台のみ
遺構
 石垣(大手口に残る枡形石垣)、水堀
 (鷲の門は復元)
形式
 平山城
築城者
 蜂須賀家政
城主
 蜂須賀家政
着工
 天正14年(1586)
所在
 徳島県徳島市徳島町城内
鉄道
 JR高徳線 徳島駅〜徒歩3分

 「歴史」 
室町時代、ここには阿波守護(あわのかみ)細川氏の支城があった

天正10年(1582)
長宋我部元親(もとちか)が攻略
しかし、その3年後には羽柴秀吉の四国攻めで降伏したため、長宋我部元親は城を追われる
かわって蜂須賀正勝(まさかつ)の子、家政(いえまさ)が四国平定の功により、阿波一国18万石で入封
初めは一宮城を居城としたが、一国経営に有利な渭津(いのつ)を城地と決め新たに築城
城を新たに築き、この地を徳島と命名した
周囲を流れる大小の河川を掘として利用し、物資の輸送にも便宜をはかり、
さらに海上を眺望できる二の丸にも天守を築いて敵襲に備えていた

天正14年(1586)
着工
完成まで25年を要した

明治8年
東二の丸に建てられた天守(3層造り)をはじめ、他の建物も共にほとんど取り壊された
鷲の門(瓦葺き総檜造りの薬医門)は唯一の遺構だったが戦災で焼失
その後平成元年(1989)復元されて現在に至る

 「変遷」  
●標高61.9mの渭山(いさん)の丘、中腹の東二の丸の天守は大入母屋を初層に構えた三層造りであった
大手口わきのもうひとつの天守建築は太鼓櫓と呼ばれ三層四階で、最上階には廻り縁と高欄が望楼をつくっていた
このふたつの天守建築のほか、大手口の太鼓櫓の反対側(東側)にも
二層三階で望楼の廻り縁高欄がのる月見櫓が構えられていた

●内堀に地下道を掘って海水を導入

●復元された鷲の門から城を望むと天守が渭山の緑の中にそびえ、左に太鼓櫓、右に月見櫓があった




平成26年11月25日(火)

「なぜか遠回り」

ついに88ヶ所参りが結願(けちがん)しました。
・・・そうなのか?
いよいよ結願の地、最後の88ヶ所札所、大窪寺。
そんな大事な結願の本堂前で。
お線香をあげようとして、ひょっ、と見たら腕にしっかり巻いていたはずの数珠が・・・ないではないか!
え?どうして?そんなはずは・・・。
今日はあいにくの雨だから、フリースの上にウインドブレーカまで着込んでいたので、
そうそう簡単に腕から落ちるはずはないのです。
あれれー?
と思っていたところへ、「どなたか白い数珠落としませんでしたかぁ?」の声。
うわっ、私だ!
見つけてくれたのは、1号車の奥さん。
1号車の方でも、顔見知りになってたり、お話しをした方もいました。
この奥さんもそうでした。
それを目撃した1号車のおもろいおっちゃんが、すかざす「結願できないだろ?」と言ってきた。
返す言葉もありません。
そーですよね・・・(涙)
そんなことは重々承知なんです。
私の懺悔が終わらないことも、母への感謝がまだまだ足りないことも、
これまで延々真剣に祈ってきた願いが叶わぬことも・・・。
ただ、母と兄をお願いしてきたことだけは叶って欲しいと思うのですが。
そんなことを考えていたところへ、そばで見ていた1号車のカチャカチャのおじさんが、「数珠はお母さんの?」と。
tuzi「そうなんです。実は母との同行二人なんです」と答えると、
「(数珠を拾ってもらって)少しは徳が上がったんじゃないか?」と言う。‘少しは’にひっかかりながらも
徳など‘少しは’どころかちっとも上がってはいない。
tuzi「いや、最後の最後で母が行方不明になってしまいました。まだまだ懺悔が足りないってことですね」
これまでも時々話しかけられて、会話を交わしてきたこのカチャカチャのおじさんには
不思議になぜか本音を話してしまうのでした・・・。

そう、私は結願書はいただいたものの、実は結願していないのです。
懺悔の旅は、この俗世にいる限り終わらないのではないかと感じている私です。

初め2日間くらいは、まだまだ先が長いなーと思ったものでしたが、
そのうちお参りにも慣れてこなせるようになり、80ヶ寺を過ぎた頃からは、慌しく過ぎた11日間でした。
私は私なりに懸命に経をあげ、真剣に祈り、お勤めしたつもりです。
そのために来たのですから。
私は今は亡き母のため、兄のため、そして留守をしている父のために祈りました。
日が経つにつれ、先祖さまが次々に浮かんできました。ばあちゃんだったり、おっぴさんだったり・・・
祈りの対象が広がっていくのを感じました。
今回は母と一緒の旅でもありました。その母はどう思ったでしょう?
これまで、母は私の近くにおりました。
どこにもいなくなったのですが、どこにでもいるように感じていたのです。
ところが、8日目だったか、母が遠くに行ってしまったように感じ、無性に悲しくなりました。
お経の最中、悲しさがこみあげてきて急に泣けてきてしまい、涙でお経があげられなくもなりました。

参加者それぞれ旅の目的は違うでしょう。
私が聞いた範囲では「自分を変えたくて」とか、「厄年だから」とか・・・「結婚を悩んでいて」とか・・・
その答えは見つかったのでしょうか?
おそらく、それは自分次第なのでしょう。

次は別格20霊場に行きたいと思います。
88と20で108。煩悩が消える?
とにかく、別格20霊場は弘法大師が修業した確たる場所なんですって。
そこで、彼のストイックさにあやかりたいな、なんて。
実際、就業体験もできるそうですが、そのためには痩せなきゃならないようで、
行く前にストイックさが試されそうです。

徳島駅前で解散後、今朝から降っていた雨もあがっていました。
明日は高野山に行きます。
今晩は徳島市内に宿を予約してました。
チェックインしてから、せっかくなので、宿から近い阿波踊り会館に行ってみようと思います。
会館内には眉山のロープウェイ乗り場が併設されていました。
他に阿波踊り資料館への入場と、阿波踊り公演を観ることができます。
私は阿波踊り公演だけ観たかったので、すでに半分くらい過ぎていましたが入場することにしました。
お客さんは10人くらいかな?
阿波踊りの講習があって、踊りは‘なんば歩き’だった。
‘なんば歩き’と聞いて、武士が踊ったことに由来するからと、ふと思った。
ステージで踊ることになって、一緒に踊った。
楽しかったんだけど、阿波踊りロボット版になっちゃった。


こんな風に踊れるまでは、かなり練習を積まねば

会館を出てから、徳島城跡に向った。
途中、女子高生の軍団に、「徳島城にはどう行ったらいいの?」と聞いたら、
「そこを右に曲がってまっすぐ行ったらスロープのところを左です」
教えてもらったとおりに歩いたら、ずいぶん遠かった。クタクタです。到着したらもう薄暗くなっていました。
平城なので、登るわけじゃないのでどこが表門かわかりません。
天守台の階段のほうから入ったのかもしれません。
とりあえず天守台に登ってみたりしましたが、港が見えるわけでもありませんでした。
明るいうちなら見えるんでしょうか?
てか、高校生のアベックが制服姿でいちゃついてたので、それどころじゃなかったです。
そそくさと降りてきちゃいました。ビル群しか見えなかったような気がします・・・。


ここは石垣しか残ってませんでした。


城門もありますが、まるで、お屋敷の門のようです。


このあと、同じ道に戻って駅前で夕飯食べようと徳島駅を目指して歩き始めました。

闇夜に白いニャンコ
うちのチロぽんにちょっとだけ似てる・・・

目の前が駅だったのに、どこをどう歩いたか、グル〜〜〜・・・と回って回って、
えらい遠回りしてしまったのでした。あとで地図を見たら、徳島駅のすぐ後ろじゃんよ〜・・・
たった3分で駅だった距離を30分以上歩いてしまった(疲)
暗いと方向感覚が鈍ります・・・。
これまた、あとで知ったのですが、残ってる石垣は枡形だったって・・・そうだっけ?
さらに、てっきり平城かと思ってたら、ここは平山城だって。
そういえば、片側に鉄橋のような高架があったから、そこから測ればなるほど60mくらいはあるかも。
といっても、どれもこれも定かでないのですが・・・ついに渭山を感じることはできませんでした。
それにしても歩きすぎてクタクタです。
結局、徳島ラーメンも食べ損ねちゃいました・・・(悲)